中島美千代
寅さんといえば、葛飾柴又を思いだすように、映画の舞台となった所は人々の記憶に残っていくようだ。「おくりびと」の地も素早く観光化したと聞くと、映画の影響に感心してしまう。だけどこういったところは私には関心がうすく、京都の太秦映画村に行ったときも、「ヘエー、こういう所で時代物は撮影されたのか」と思っただけだった。撮影中の気配もないのに時代物の衣装をつけた人もいて、これはサービスだろうと考えたりした。
それが小豆島へ行ったとき、半日コースの観光バスに乗ったら、「二十四の瞳映画村」を見ることになった。小豆島といえば、満ち潮で道が消えるエンゼェルロード、オリーブ園が観光の目玉だが、「二十四の瞳映画村」も人気のスポットなのであった。
この映画が公開されたのは昭和二十九年だから、もう半世紀を過ぎている。残念ながら私には観る機会はなかった。それでも大体のストーリーや、木下惠介監督、高峰秀子主演は知っている。「昭和の名画」となると、この映画が選ばれることも。
オープンセットを改築した木造の古い校舎。乾いた地面が広がる運動場。小豆島の自然の中では不思議と違和感がない。大石久子先生と十二人の子どもたちが、今にも飛び出してくるようである。この映画を観たのだろうと思われる年齢の男女が何人も、長い間校舎を眺めていた。私は古い校舎よりも、そこに佇んで動かない人たちを眺めていた。すると胸の奥がジーンとしてくるのだった。
「二十四の瞳」は、第二次世界大戦前後の小豆島を舞台にした、若い女性教師と十二人の教え子の交流を描いたものである。戦争や家族制度、貧困といった時代の悲劇は、当時を生きた多くの人が経験しただろう。古い校舎の前に佇む人には、映画を観た感動以上のものがあったのではないかと思う。
古い校舎が呼び覚ます、その人たちの遠い記憶。それも今では懐かしいものになって、白黒版のポストカードを買いたくなるらしい。土産物の店では、大石先生と十二人の子どもが写ったそれがよく売れていた。つられて私も買った。
映画村には原作者である壺井栄の文学館があり、直筆の原稿や手紙、彼女が使用した小物などが展示してあった。そこには作家がこの作品を生み出した時代はもう見えなかったが、この人もその時代を生きたという長い時間が感じられるのだった。
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