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2010年6月

2010年6月20日 (日)

2010年6月号 37 「父と暮らせば」

新・身も心も 37 

『父と暮せば』 04年

稲葉 芳明
 
作家の井上ひさし氏が亡くなりました。
ぼくは大学時代に虜になり、爾来三十年余熱狂的愛読者として氏の膨大な著作をほぼ全て読んできました(あの『吉里吉里人』を、発売直後に一晩で読み通したのが懐かしい!)。近年は仕事をほぼ芝居一本にしぼられ、はからずも遺作となった『組曲虐殺』も素晴らしい舞台でした。ぼくは昨年10月17日に天王洲銀河劇場で観劇しましたが、感想をこんな風にノートに記しています――「小林多喜二の短すぎる人生の晩年数年間を、コミカルに味わい深く描いた音楽劇。特に二幕は、多喜二の理念と周りの人々をじっくり描きこみ、逆境の中で幸福を求めて懸命に生きる人々への、祈りにも似た、純化された慈愛の念が心に染み入る。本当にいい芝居だった」。
ぼくが井上作品に惹かれたきっかけは、過剰で奔放な言葉遊びや入れ子構造の趣向の面白さでしたが、ここ十年程は、社会に対する義憤を主題にしつつも、人間賛歌がその根底に強く着実に脈打っている円熟した秀作が続いていました。
というわけで、今回は『父と暮せば』をとりあげます。
*       *
 井上ひさし氏の戯曲『父と暮せば』は、こまつ座第34回公演として1994年9月に紀伊國屋ホールで初演されました。ぼくは翌95年、演出/鵜山仁、出演/梅沢昌代・すまけいという初演と同じスタッフ・キャストでの再演を、紀伊國屋ホールで観ています。
 井上氏は執筆にさきがけ、二年間かけてヒロシマの被爆者の証言を丹念に集め、この証言(事実)を元にして芝居の一つ一つの台詞を練り上げたそうです。斯くも磨き上げられた密度の濃い台詞が、美津江(宮沢りえ)と竹造(原田芳雄)の二人によって血肉化され、観客の耳に時にはユーモラスに笑いを誘い、時には哀切を帯びてしみじみと、時には血を吐くような痛みを伴って響きます。美津江の台詞「うちゃあ生きとんのが申し訳のうてならん。じゃけんど死ぬ勇気もないです」(第三場)、或いは竹造の「おまいは病気なんじゃ。病名もちゃんとあるど。生きのこってしもうて亡(の)うなった友だちに申し訳ない、生きとるんがうしろめたいいうて、そよにほたえるのが病状で、病名を「うしろめとうて申し訳ない病」ちゅうんじゃ」(第四場)――このような台詞の数々が、観客の心を奥深いところで揺さぶります。
『父と暮せば』が傑作足りえたのは、人間は生きねばならぬという余りにも真っ当なテーゼを、ヒロシマへの怒りと悲しみを突き抜けた次元で、何の衒いも無く真摯そのものの姿勢で熱く語っているからです。「親に孝行する思うてはよう逃げいや。(中略)ほいでもよう逃げんいうんなら、わしゃ今すぐ死んじゃるど。」という竹造の台詞に涙しない観客が居るでしょうか?竹造「人間のかなしいかったこと、たのしいかったこと、それを伝えるんがおまいの仕事じゃろうが。そいがおまいに分からんようなら、もうおまいのようなあほたれのばかたれにはたよらん。ほかのだれかを代わりに出してくれいや」美津江「ほかのだれかを?」竹造「わしの孫じゃが、ひ孫じゃが」という遣り取りに胸を熱くしない観客が居るでしょうか?
ぼくが2004年8月18日に本作を岩波ホールで観た時、エンドタイトルが終るまで満員の観客は誰一人として席を立たず、場内が明るくなり始めた時ごく自然に熱い大きな拍手が起こりました(その後に何と、故黒木監督の舞台挨拶がサプライズで行われました)。
あの日の岩波ホールの観客がスクリーンに送った熱い大きな拍手。それと同じ拍手を、改めて井上ひさし氏に送ります。
本当に長い間有難うございました。

2010年6月号 「冬の猿」

フランス映画「冬の猿」

かずじ・やまうち

連休に空いた時間ができたので、金津創作の森の「画家 志田弥広の足跡をたどって」を見てきた。一度だけだが、私は志田先生にデッサンの指導を受けたことがある。
初夏の日差しの中、新緑の林をくぐり、会場のアートコア・ミュージアムを訪ねた。そこには、インドの夕陽を背に沐浴をする妖艶な女性の油絵、黒を基調とし静謐な仏教の世界を描いた拓画、また、巧みな筆さばきで鬼や動物をコミカルに描いた墨絵などが展示されていた。特に、墨絵は、先生の作品としてこれまで私が見たことのなかったもので、酒瓶のラベルや挿絵、カレンダーなど、多くの作品があったことに驚かされた。
 話は変わるが、このあいだ、詩人のK氏からもらった詩誌「歴程」の支倉隆子の詩に、私の目が止まった。それは「冬の猿/アラバール」で「〈冬の猿〉はいったいどんな映画だったのか」というフレーズが何度も出てくる。作者はこの映画を見ていないらしいのだが、その繰り返されるフレーズに、ついに私も気になって調べることになった。ネットで中古ビデオ、レンタル・ビデオなど探したがなく、まさかないだろうと思いながら探した図書館の視聴覚ライブラリーにそれを見つけた。休日の朝、図書館に行き、その映画を見てきた。それはモノクロのフランス映画で、主演はジャン・ギャバン、そして、若きジャン・ポール・ベルモンドが共演していた。
ストーリーは次のようである。若いころ中国に兵隊として行ったジャン・ギャバンは、ノルマンジーの海辺の町の居酒屋で、友人と酒を飲み中国滞在時代の思い出に浸っている。そこへ、ドイツ軍の空襲が始まり、妻が心配しているといけないからと家路につく。爆撃のさ中を千鳥足で家に戻った彼は、妻に、もしこの空襲を生き延びられたら、今後、酒は一切飲まない、と約束をする。場面は変わって十五年後、彼は生き延び、酒を断ち、妻とホテルの経営を続けていた。以前の友人たちは、奴はつきあいが悪くなったという。と、そんな時、ジャン・ポール・ベルモンド扮する男がホテルにやってくる。彼は夜な夜な居酒屋へ通い、酔いつぶれ、騒ぎを起こす。そんな彼に昔の自分を見たジャン・ギャバンは、こいつと、とことん飲んでみたいと思うようになる。妻は、そんな彼の様子を察知して止めようとするが、ジャン・ギャバンは言う「俺はお前を愛している」「でもお前はうるさい。もう、うんざりだ」と。ジャン・ギャバンは、ジャン・ポール・ベルモンドと酒をあおり、雑貨屋に花火があったことを思い出し、海岸で花火を打ち上げ、町中を大騒ぎの渦に巻き込む。
冬の猿は、冬に餌を求めて群れを離れる猿のことだという。男には、妻の監視を逃れ憂さを晴らすひと時が、必要なのだ。アメリカ映画全盛の今、いいフランス映画を観た。