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2010年7月

2010年7月24日 (土)

散歩道⑧ ~映画村~


中島美千代

 寅さんといえば、葛飾柴又を思いだすように、映画の舞台となった所は人々の記憶に残っていくようだ。「おくりびと」の地も素早く観光化したと聞くと、映画の影響に感心してしまう。だけどこういったところは私には関心がうすく、京都の太秦映画村に行ったときも、「ヘエー、こういう所で時代物は撮影されたのか」と思っただけだった。撮影中の気配もないのに時代物の衣装をつけた人もいて、これはサービスだろうと考えたりした。

 それが小豆島へ行ったとき、半日コースの観光バスに乗ったら、「二十四の瞳映画村」を見ることになった。小豆島といえば、満ち潮で道が消えるエンゼェルロード、オリーブ園が観光の目玉だが、「二十四の瞳映画村」も人気のスポットなのであった。

 この映画が公開されたのは昭和二十九年だから、もう半世紀を過ぎている。残念ながら私には観る機会はなかった。それでも大体のストーリーや、木下惠介監督、高峰秀子主演は知っている。「昭和の名画」となると、この映画が選ばれることも。

 オープンセットを改築した木造の古い校舎。乾いた地面が広がる運動場。小豆島の自然の中では不思議と違和感がない。大石久子先生と十二人の子どもたちが、今にも飛び出してくるようである。この映画を観たのだろうと思われる年齢の男女が何人も、長い間校舎を眺めていた。私は古い校舎よりも、そこに佇んで動かない人たちを眺めていた。すると胸の奥がジーンとしてくるのだった。

 「二十四の瞳」は、第二次世界大戦前後の小豆島を舞台にした、若い女性教師と十二人の教え子の交流を描いたものである。戦争や家族制度、貧困といった時代の悲劇は、当時を生きた多くの人が経験しただろう。古い校舎の前に佇む人には、映画を観た感動以上のものがあったのではないかと思う。

 古い校舎が呼び覚ます、その人たちの遠い記憶。それも今では懐かしいものになって、白黒版のポストカードを買いたくなるらしい。土産物の店では、大石先生と十二人の子どもが写ったそれがよく売れていた。つられて私も買った。

 映画村には原作者である壺井栄の文学館があり、直筆の原稿や手紙、彼女が使用した小物などが展示してあった。そこには作家がこの作品を生み出した時代はもう見えなかったが、この人もその時代を生きたという長い時間が感じられるのだった。

散歩道⑦ ~オードリーの靴~


中島美千代
 

 かつて名画といわれた映画は今でも名を残しているし、そのときの俳優の人気も簡単に衰えない。昨年出た文藝春秋の『映画が人生を教えてくれた』の中で、「心に残る映画スター」のアンケートを行っていた。海外の女優ベストテンの一位はオードリー・ヘップバーンだった。死後十七年たってもオードリーの人気は揺るがない。ちなみに男性はアラン・ドロンでこれも納得だ。

 数年前、京都駅で「オードリー・ヘップバーン展」を見た。彼女が出演した映画や、飢えに苦しむ子どもたちのために、ユニセフ親善大使として活動していた晩年のパネルが展示されていた。映画で着た衣装がたくさん展示され、床には靴がずらりと並んでいた。その服のウエストの細いこと。靴は掌にのるほど小さくて、家具の上に飾っておきたいほど可愛らしいのだった。

 それらはまさに「ローマの休日」のオードリーを彷彿とさせるものだった。アン王女になったオードリーは美しくて可愛くて、知性にあふれ、気品に満ちていた。実際に彼女が身につけた服と靴は、オードリーの温もりや声や、表情を感じさせた。「永遠の妖精」と言われ、世界を沸かせた女優が、ついさっきまでそこにいたような気がしたものだ。

 彼女の伝記をさらりと読んだことがある。子供のころの両親の離婚、父親の突然の出奔、両親が右翼の政治活動に関わっていて、ことに父親は強烈なナチスシンパの一人として長く拘留されたことなど、オードリーは家族の大変な秘密のために、陰のある人生を背負っていたのだ。母と二人の兄と共に戦火を生き延びた少女が、やがてアン王女に抜擢されるまでの道のりは過酷なものだった。しかも「私は生まれついての女優ではない。死にもの狂いで演じてきました」と言ったというオードリーは、妖精どころか生身の女性そのものだった。私はこういうオードリーも好きだ。そしてユニセフ親善大使の彼女は、やはり美しく、気品にみちていた。素顔を見せ、見られることも意識せず、毅然とした表情をしているのもよかった。伝記を思い出しながら晩年のパネルを見ていると、「永遠の妖精」は映画が作り上げた偶像だったのかという気がした。

 だけど、小さくて可愛い靴を見ると、オードリーはやはり妖精だったと思えた。彼女の人気が衰えないのも、妖精のままで人々の心に残っているからなんだろう。

散歩道⑥ ~頭の中の紙芝居~


中島美千代


 昨年、トニー・ザイラーの訃報を聞いたとき、「白銀は招くよ」を思い出した。青い空と白銀の山。トニーの滑りはカッコいい。美しい映像だった。しかしこの映画の影響で、スキー始める人が増えたという。だがスポーツの苦手な私には、スキーを始める気は起こらなかった

 しかし映画の影響というのはある。食べ物で言えば、伊丹十三監督の「タンポポ」を観たあとはラーメンが食べたくなったように、映画には視覚だけでなく五感を刺激するものがあるのは確かだ。
 
 私は「赤目四十八瀧心中未遂」を観てから、大好きだった焼きとりが食べられなくなった。あの映画の一場面が原因だ。がらんとしたアパートの一室。しみと黴に汚れた壁と天井。夏だというのに冷房もなく、素手でひたすら串に肉を刺している若者がいた。ささくれ立った畳の上のバットには、山のような生の肉。彼は内職に焼きとりを作っているのだ。肌色と桃色を合わせたような色の肉は、早くも腐った匂いがしていた。それは吐き気を覚えるほど不潔極まりない光景だった。
 
 以来、私は焼きとり屋を横目で見て通り過ぎるようになった。誘われても、ついこの間食べたばかりとか、歯が悪い、胃が痛いなどと言い訳をする。焼きとりと聞いただけで、あの場面を思い出してしまう。世の中の焼きとりは、全てあの劣悪な環境で作られているとでもいうように。
 
 同じ気持ちになったのは私ばかりではなかった。友人も、夫があの映画を観てから、焼きとりは要らないというようになったそうだ。もしかしたらあの頃、焼きとり屋の売上げは落ちたのではなかったろうか。
 
 時が過ぎた今、焼きとりは静かに近づいてきている。もともとは大好きだったのだから、きっぱりと縁を切ることはできない。さあ、焼きとりというとき、まるで背景のようにあの場面が浮かんでくる。さすがに以前ほど明確ではないが、食欲は落ちてくる。
 
 あるとき私は思いついた。あの場面が浮かんできたら、子どものころに見た紙芝居のように、絵をめくるのである。次の絵は、寺島しのぶがゆったり広がる白いワンピースと、白いハイヒールで軽やかに岩場を登っていた場面だ。私ならスニーカーでも、ああはいかないと思って観ていた、あの軽やかさと美しさ。すると汚いアパートの一室の絵は隠れてしまうのである。

散歩道⑤ ~おお~オスカー像~


中島美千代
 

 オリンピックに出場する人はメダルを目標にするのだろうが、映画を作る人はアカデミー賞を頭に描いて製作するだろうか。そうではなく、よい映画を作りたい、ただそれだけだろう。そして結果がついてくる。私のまわりにはメダリストも、権威ある賞と縁のある人もいないから、それらの授賞式は映像で眺めているだけである。

 ことにアメリカのアカデミー賞授賞式の様子はテレビで見ていても楽しい。オスカー像を高々と揚げる人、胸に抱きしめるようにしている人。その喜びがこちらにも伝わってくる。製作中の苦労など微塵も感じさせないのもいい。

 オスカー像に関するエピソードが多いのは、アカデミー賞が権威のある賞であり、オスカー像がその象徴になっているからだろう。だが、一般の人がオスカー像を目にする機会はめったにないと思う。

 それがついこの間、私は思いがけなくオスカー像を見たのである。所は京都文化博物館の映像ギャラリーだ。ほかに用事があって行ったのだが、映像ギヤラリーとあれば見ないで通るわけにはいかない。映画黄金時代の作品のポスターがずらりと張ってある部屋に、昭和初期の映写機やフイルムの入った丸く平たい缶などが並んでいる。その部屋の中央に、なんとオスカー像がケースに入れて展示してあったのだ。昭和二十五年(一九五〇年)に大映京都撮影所で製作した黒澤明監督の『羅生門』が、名誉賞(最優秀外国語映画)を受賞したときのレプリカであった。
 
 おお~これがオスカー像なのか。日本映画界が初めて手にしたオスカー像。高さは三十センチ余りだろうか。細身の男性らしいオスカー像は、黄金に輝いていた。この黄金の輝きは、まさに当時の映画界の輝きではなかったか。この映画が製作された年、日本は戦後の復興期であった。映画はまだ白黒だけど、全盛期に向かっていた。映画は夢、スターは憧れ。そんな時代のアカデミー賞受賞、そして手にしたオスカー像は映画製作者だけでなく、日本中の人に大きな喜びをもたらしたに違いない。偶然に見た日本で初めてのオスカー像は高貴で神秘的で、レプリカであっても私を感動させたのである。
 
 その隣のケースには同じく『羅生門』がヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞したときの金獅子像(レプリカ)があった。子猫のような大きさの黄金の獅子の背中には、蝶が羽根を合わせたように二枚の翼が生えている。前の右脚をかけているのはシナリオだろうか。獅子はまっすぐ前を向くのではなく、左の方に顔を向けていた。少し開いた口からは勝利の咆哮が聞こえてきそうだった。日本映画界が初めて手にした金獅子像である。これもよかった。この二つの像を見た私は、あらためて映画という芸術に惚れ直したのである。

散歩道④ ~映画と原作~


中島美千代
 

映画「愛を読む人」を、私は主役のハンナを演じるケイト・ウィンスレットのフアンなので観にいった。作品としてはハンナが「ある秘密」を守るために無期懲役を受け入れるその秘密が、聡明な彼女にしてはどうもという疑問が残る。けれど、これがこの物語の核なのだから仕方がない。

 この「愛を読む人」は大ベストセラー小説『朗読者』が原作だという。昔から小説の映画化は多く、アカデミー賞八部門を受賞した「スラムドット$ミリオネア」も『ぼくと1ルビーの神様』を原作としている。

 私はどちらかというと、文章に想像力を掻きたてられ、刺激を受けることが好きだ。だから、小説を読んで感動した時はその映画化を観ない。また観た映画の原作を読んでみたいとも思わない。最初に心に残った感動を大切にしたいからである。だけど小説に比べて映画がすごいと思うのは、雄大な風景や人物を一瞬にして提示してくれることだ。活字はじんわりと物語に引き込んでくれるが、映像はすばやい。それに役者を観るのもいい。「半落ち」の樹木希林はよかった。彼女のあの無表情に見える哀しみは、映像でこそ強く訴えてくるのではないか。
 
 ところで、「愛を読む人」が上映される時、書店には『朗読者』が積み上げてあった。映画も観たい、原作も読みたいという人が結構いるのだなあと思った。また「愛を読む人」のダルトリー監督は原作にないラストを新たに加えたということだが、映画フアンの中には原作がどんなふうに脚色されているのか、これを楽しむ人もいるのかと気がついた。
 
 私の友人の高嶋哲夫は十年くらい前、『イントゥルーダー』でサントリーミステリー大賞の大賞と読者賞をダブル受賞した。受賞作はテレビドラマ化され、彼は主演の松下由樹と握手してきたと大喜びだった。このときは念願の受賞を果たしたこと、当時で最高の千百万円という賞金を得たこと、自作がドラマ化されることで嬉しさの余り、原作がどんなふうに映像化されるのかまるで気にならなかったようだ。
 
 三年ほど前、彼の『ミッドナイトイーグル』が映画化された。そこで原作者の感想を訊いてみると、主演の女優と握手してきたとまず嬉しそうに言う。ストーリーは同じでも、主人公の夫婦が主人公と義妹になり、会社の同僚が先輩と後輩になっていたという。小説と映画は別のものと割り切っているが、原作の方がよかったと言ってくれる人が多いというのが彼の弁であった。そうか、原作者の胸の内は複雑なのだと知ったのである。