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2011年9月 6日 (火)

スーパー8/SUPER8

スーパー81965年にコダックから発売された家庭用8ミリビデオ。アメリカではスーパー8フェスティバルなるものが毎年開催されてもいて、多くの若者がこれを使って映画をつくっていたそうだ。

日本では富士フィルムのフジカシングル8の方が売れたようで、私の家に残っている8ミリフィルムもコダックではなく富士フィルムのものだ。手元にある一本を白壁に映してみると、車窓を流れる海山の景色は45年前も今もそうかわりはないが、民家や人の姿、髪型や着装の違いは大きい。それに加えて8ミリならではの間延びしたようなぼんやりしたような映像には心が和むようでもあり心が踊るようでもあり。

スーパー8』の舞台は1979年のオハイオ州。スーパー8でゾンビ映画をつくるのに一所懸命な6人の中学生と、エリア51から移送中に列車事故で町に放たれてしまったエイリアン、機密事でありながらも大がかりなエイリアン捕獲作戦を繰り広げるアメリカ空軍、この三つを絡ませたストーリーになっている。

20歳の開きはあるにせよ若い頃共にスーパー8を使って映画をつくっていたJ.JエイブラムスとS.スピルバーグ。有名になり不動の立場を築き上げた今だからこそつくりえた作品であるのだろう。手放しで素晴らしいとは言えないが、8ミリ映画をつくる仲間逹とさまざまな経験をする子ども逹の姿は、ハラハラさせられたりしながらも見ていて心地良いものがある。

子ども逹だけが集まって何かしている姿は親にとっては心配の種であり、グループの中の特に危険なひとりの名前を挙げて付き合うのをやめなさい、もっと普通のことをして楽しみなさい、環境を変えるために夏休みはキャンプに行きなさいなどといったことになってしまうのだが、いったんこうなってしまうと親子関係に亀裂が生じ、下手をすると一生尾を引く問題にもなることが多い。けれどこういった映画作品では、現実では一生かかっても修復できそうにない親子関係をわずか二時間で解きほぐしてくれるのである。

親子関係に限らずこういった解きほぐしがうまくいくかどうかが作品の良し悪しを決定するのは当たり前のことではあるがなかなか難しい。『スーパー8』では大きな事件に直面したときには小さなことには目をつむって手を組む必要が生じることと、反社会的に見える趣味が有事の時に役立つことがあることをうまく使って、良しとされる作品に仕上がっている。

アリス役エル.ファニングは6年前のスピルバーグ作品『宇宙戦争』の子役ダコタ.ファニングの妹である。日曜夜のレイトショー。観客は私を入れて二名。日曜の夜だから観客が少ないのかもしれないが、『スーパー8』の興業成績がイマイチだったとすれば、6年前の『宇宙戦争』が足を引っ張っているのではなかろうか。子役のダコタ.ファニングは良かったけれどトム.クルーズがだめだったのと、ただただ人間を食料にしていくだけのうどの大木的エイリアンに私たちは感情移入することができなかった。大阪の劇場で見ていて、S.スピルバーグに対してイラついたのを覚えている。

私はもともとS.スピルバーグが好きではない。なぜかというとあまり言いたくはないのだがその理由は『ジョーズ』にある。USJのアトラクションでジョーズの上半身がザバーと出てきてもなんの恐怖も感じないのだが、あの繊細なテーマ曲が流れてくるとそれだけで戦慄が走ってしまうのだ。海面下に潜むジョーズ、海中生物なのだからあたりまえのことなのだが、私は『ジョーズ』を見たあと海で泳げなくなってしまったのだ。

早朝浜辺を散歩していて海面を跳ねる鯵などを目にするとこれもまたこわい。ウミウシを踏んでまわって海を紫色に染めた昔の私はどこに行ってしまったのか。海が好きで毎日のようにザバザバとただただ泳いだ健康的な私はどこに行ってしまったのか。私に海への恐怖心を植え付けたS.スピルバーグを私が好きになれるわけがないのだ。

話はかなり横道にそれたが『スーパー8』をつくったJ.Jエイブラムスは私のお気に入りの監督である。なんといってもエイリアンの設定が素晴らしいのと人間というものをよく理解していることからくる安心感。派手な思い付きよりも納得できる緻密さが私の望むところである。

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