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2012年1月

2012年1月27日 (金)

新・身も心も 57 

『グッド・ウィル・ハンティング』
GOOD WILL HUNTING 1997年

まずは2011年マイ・ベストテンです。昨年封切の作品の中から、筆者が劇場で鑑賞した順に挙げてあります。
○ ソーシャル・ネットワーク
○ 英国王のスピーチ
○ ブラック・スワン
○ ダンシング・チャップリン
○ ビューティフル
○ ツリー・オブ・ライフ
○ 未来を生きる君たちへ
○ 一枚のハガキ
○ マネーボール
○ 永遠の僕たち

このうち、年の瀬に梅田TOHOシネマズで観た『永遠の僕たち』を少し御紹介しましょう。

交通事故で両親を失い、自らも臨死体験をしたイーノック(故デニス・ホッパーの息子ヘンリ

ー・ホッパー)は、生きることの意味を実感出来ず、赤の他人の葬式に参列するのを趣味とす

る孤独な少年。臨死体験以降、何故か自分だけに見える特攻隊員の幽霊ヒロシ(加瀬亮)が

唯一の友達ですが、或る葬儀で末期癌におかされている少女アナベラ(ミア・ワシコウスカ)と

出遭います。過酷な運命に対峙しても自暴自棄になることなく、日々の生活の中に生の歓び

を見出そうとする彼女の姿に、ヘンリーも次第に感化され――というのは、よくある青春映画

のパターンなんですが、ガス・ヴァン・サント監督の演出は例の如く非常にストイックで、決して

お涙頂戴感傷過多にならないんですね。「泣かせ」の場面を徹底して排除することで、生きる

ことに虚無的だった主人公が蘇る過程が、リアル且つ等身大的に感じられるのです。

加えて、この生きる屍クンを蘇らせるワシコウスカがもう圧倒的に素晴らしい。

『アリス・イン・ワンダーランド』ヒロイン役の百倍輝いていて、だからこそ最後の最後の

数カットが、長く深く爽やかな余韻を残してくれるのです。

さて、そのサント監督作品の中でぼくが断然御贔屓なのが、『グッド・ウィル・ハンティング』。

心を閉ざした天才青年ウィル(マット・デイモン)が、親友チャッキー(ベン・アフレック)やカウン

セラー(ロビン・ウィリアムス)、恋人(ミニ・ドライヴァ)との交流を通じて成長していく姿を、繊細

なタッチで綴った傑作です。

かつてのアメリカ映画は、国はかくあるべし男はかくあるべしと、精神と肉体の強靭さを無条

件に讃えていたのですが、一九六十年代になると既存の価値観・倫理観に懐疑的になり、こ

の趨勢はニューシネマや七十年代のベトナム戦争を扱った作品群に顕著に顕れていました。

本作は∧アイデンティティの喪失と模索∨が主題ですが、その根底には米映画お家芸のバデ

ィ・ムービーやロード・ムービーの感触も感じ取れます。

ウィルの疎外感と孤独を浮き彫りにしながら、恋人やセラピストとの出会いによって新たな∧

旅立ち∨に至る葛藤と模索と自己再生を巧みに描いた脚本は、デイモンとアフレックの共同執

筆。これを、サント監督が抑制の効いた演出で映像化しています。ウィルとセラピストの交流

は、ウィリアムの絶妙の演技もあってこの作品最大の見所になっていますが、とりわけラスト

近くの “It’s not your fault.”という台詞は涙無くして観られない名場面!また、これに先立つ

ウィルとチャッキーの最後の遣り取りも忘れられません。バディ・ムービーの伝統が、このよう

な現代的意匠で生かされるのかと感心しました。

幼児虐待やトラウマといった現代的素材を扱いつつも、人と人との絆によって人間性は回復・

蘇生し得るというテーマを瑞々しく映像化したビルドゥングス・ロマンとして、強くお薦めします。

新・身も心も 56 

『アンダーグラウンド』UNDERGROUND
1995年

 マーラー・イヤーの掉尾を飾る三つの演奏会に足を運びました。

大植英次指揮大阪フィルハーモニー「交響曲《大地の歌》」(11月10日、大阪ザ・シンフォニー

ホール)、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー「交響曲第9番」(11月22日、サント

リーホール)、クリスティアン・ゲルハーヘル バリトン・リサイタル「さすらう若人の歌」「亡き子

をしのぶ歌」他(12月3日、名古屋ザ・コンサートホール)――いずれも素晴らしいの一語に尽

きる演奏会でしたが、とりわけベルリン・フィルの9番は、生涯忘れ得ぬであろう凄絶な超名演

でした。

映画の方も新作旧作色々観ましたが、今回は名古屋シネマスコーレで久々に再会した一本を

ご紹介します。

1995年のカンヌ映画祭は、共に∧ヨーロッパの噴火口∨バルカン半島を舞台にした『ユリシ

ーズの瞳』『アンダーグラウンド』の二本が賞を争いました。結果はテオ・アンゲロプロス監督

作品がパルムドール、エミール・クストリッツア監督作品がグランプリ(第二席)となりました

が、その『アンダーグラウンド』がデジタル・リマスター化され、此の度15年ぶりに日本再公開

の運びとなったわけです。

クストリッツア監督はサラエボ出身で、『パパは、出張中!』(85年カンヌ映画祭パルムドール)

の政治風刺と牧歌的飄逸さ、『アリゾナ・ドリーム』(93年ベルリン映画祭銀熊賞)の奇妙で愛

すべき人間群像がぼくは好きでしたが、その彼がまさかこんな破天荒で桁外れの一大映像叙

事詩を撮るとは予想だにしませんでした。

第二次大戦中の41年、セルビアの首都ベオグラードへのドイツ空爆から物語りは始まり、戦

時中のナチへのレジスタンス、終戦後のチトー主導社会主義体制、そして内戦から祖国ユー

ゴスラヴィア崩壊へと至る半世紀を溢れんばかりのエネルギーで活写し、あっという間に三時

間が経過します。この映画の凄さはなかなか伝えにくいのですが、ぼくなりの分析(めいたも

の)を若干記してみましょう。

クストリッツアはプロのバンド活動を平行している程のロック狂で、ジョニー・ロットンがカヴァー

したあの「マイ・ウェイ」が大のお気に入り。言わばこの映画は、激動の旧ユーゴスラビア現代

史を、セックス・ピストルズばりのパンクでアナーキーなハイテンションでもって、最盛期のフェ

リーニに匹敵する自由奔放奇想天外荒唐無稽のイマジネーションと不思議な浮遊感を混交さ

せ、そこに破壊的かつ狂騒的ジプシー音楽を全篇に鳴らしまくり、絶望を突き抜けたグロテス

クなブラック・ユーモアでもって、悪夢としか言いようのない現実を高らかに哄笑したハイパー

映像狂詩曲(ラプソディ)です。

封切時にこの映画を観た時、ぼくは強烈な映像造形力とスケールの大きさに圧倒され、呆然

として名古屋ゴールド劇場を後にしたのを覚えています。醜悪で残酷な現実世界に拮抗する

には、これ位の迫力と野放図さと騒々しさが不可欠なんだぜとクストリッツアが嘲笑している

かのようで、臓腑を引っ掻き回されるような強引さと不快感が、次第に享楽的快感に昇華して

いくのが実に摩訶不思議。「昔、あるところに国があった」と云う結びの言葉にも、無き祖国に

対する監督の思いと祈りの深さが象徴・凝縮されているのを痛切に感じました。

祖国が消滅する過酷な現実を、映画を撮ることで乗り越えたクストリッツアを見習い、「3・11」

以後の世界を生きなければならない我々も映画から力を得ましょう!

新・身も心も 55 

『フラガール』 2006年

 『がんぱっぺ フラガール! ~フクシマに生きる。彼女たちのいま~』をなんばパークスシネ

マで観ました。「3・11」によって福島県いわき市スパリゾートハワイアンズは壊滅的被害を受

け、本拠地を失ったフラガールたちは5月から全国キャラバンを始めます。10月1日には部分

再開にまでこぎつけますが、そこに至るまでの汗と涙と苦闘の半年間を追ったドキュメンタリー

映画です(ナレーションは蒼井優)。

被災地、被災者、福島第一原発の想像を絶する惨状にまず言葉を失いますが、観ているうち

に、フラガールやスパ関係者の笑顔が深く心に刻み込まれていきます。映画はサブリーダー

の大森梨江さんを中心に展開しますが、気丈な彼女の立振舞いと辛さの片鱗さえ見せない明

るい微笑が、この悲惨な現実をねじ伏せ、我々に大きな「肯定感」を与えてくれるのです。ジェ

イク・シマブクロの音楽も素晴らしく、ぼくは観ていて幾度も涙がこぼれました。というわけで、

今回は映画『フラガール』を回顧してみましょう。

昭和四十年、福島県いわき市の閉山寸前の常磐炭鉱が舞台。会社が経営を立て直すべく考

えた窮余の一策は、湧き出る温泉を活用したハワイアンセンターの建設で、その目玉として何

とフラダンスを上演しようというのです(映画通なら英国映画『ブラス!』や『フル・モンティ』、

『リトル・ダンサー』――どれも炭鉱が舞台だ――を連想するでしょう)。

ドラマの展開は殆ど「プロジェクトX」のノリですが、異なるのはごく平凡な女性達が主人公で

あること。会社の為というより、自分の未来を切り開く為に踊るんだという意志と行動力が清々

しいですね。TV局が製作に噛むと演出がもっとベタになり、感情過多の演技に辟易させられ

るが常ですが、演出と脚本(李相日と羽原大介)はやり過ぎる一歩手前で抑制し、素直に物語

に感情移入させてくれます(筆者は随所で涙腺が決壊してしまいました)。

役者も皆よかったですね。東京から教師として招かれたまどか(松雪泰子)も、会社の担当者

吉本(岸辺一徳)も、友達に誘われて半ば成り行きで始める紀美子(蒼井優)も、紀美子の母

(富司純子)と兄(豊川悦司)も、考え方の新旧の差はあれ、不器用ながらも皆懸命に生きよう

とし、彼らの必死の思いと行動は、重みを伴って観客に迫ります。だからこそ、ラスト近くに美

紀子の母が言い放つ言葉――「今まで汗水垂らして、真っ黒になって、会社の為お国の為に

ご奉公するのが人生だと思ってきたけれど、もっと明るい夢を求めて働く生き方があってもい

いのではないでしょうか」――は観る者の琴線に何の衒いもなく響きます。そう、昭和四十年

という時代、我々は今よりずっとずっと貧しかったけれど、明るい未来を夢見ることは可能だっ

たのでした。

『花とアリス』で見事なバレエを披露してくれた蒼井優が、本作の大詰めでも素晴らしいフラを

踊ってみせます。このフラが感動を呼ぶのは、生き方を変えようとした紀美子の決意と懸命な

努力、最後には彼女を応援するに至った母、町の人達全員の祈るような思いが此処に凝縮

し、そしてその夢が見事に開花した瞬間に我々が立ち会ったことを認識するからです。一人一

人の登場人物の人生を感じさせてくれるからこそ、リアルな実感を伴って観客の心に響いてく

るのです。

見終わった後、実に爽快で清々しい気分になりました。いい「映画」に付き合えたなという上気

した心持ちで、劇場を後にしたのを鮮明に覚えています。

月並な言葉ですが・・・、「がんばろう日本!負けるなフクシマ!」

新・身も心も 54 

『ボブ・ロバーツ』Bob Roberts 92年

「第一回午前十時の映画祭」上映希望アンケート一般投票で堂々第1位に輝いた『ショーシャ

ンクの空に』を、16年振りに劇場で見る事が叶いました。

日本封切は1995年6月3日、ぼくはその一週間後6月10日に(今は無き)東銀座・松竹セン

トラルの大スクリーンで観ました。ジャンル的には脱獄モノで結構陰惨な話なのですが、モー

ガン・フリーマンとティム・ロビンスの主役二人が、漂々とした爽やかさを感じさせました。とりわ

けロビンスは、寡黙かつ孤高でありながら巧まざるユーモアを湛え、随所で見せ場をさらいま

す。

例えば、刑務主任に遺産相続の助言をした見返りに、皆で一緒にビールを飲ませてもらう場

面。或いは、モーツァルト『フィガロの結婚』第三幕「手紙の二重唱」のレコードを勝手に刑務所

内外に流し、その余りの美しさに囚人が皆聴き惚れる場面。私腹をこやす悪徳所長の裏をか

き、まんまと罠にはめる場面等々。

ロビンスはアカデミー助演男優賞を受賞した『ミスティック・リバー』を筆頭に秀作・話題作に出

演する傍ら、相方スーザン・サランドンに主演女優賞をもたらした『デッドメン・ウォーキング』を

製作・監督するなど、この二十年余第一線で旺盛に活動を続けています。今回取り上げる作

品は、そのティム・ロビンスの初監督作品『ボブ・ロバーツ』です。

ティム・ロビンス扮するボブ・ロバーツは政治的野心満々の35歳で、1990年のペンシルバニ

ア州上院議員選挙に立候補します。ロバーツは愛国心を過度に強調する右翼的政治家です

が、その反面外見は非常にスマートでソフィスティケートされていて、この落差がまず面白い

ですね。映画の作りは非常に手が込んでいて、選挙運動をドキュメンタリー風に追うスタイル

は、当然あの『市民ケーン』を彷彿させますし、選挙キャンペーンの一環で制作するビデオ・ク

リップは、ボブ・ディラン「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」(ディランが曲に合わせて歌

詞カードを次々に変えていく、後世に多大な影響を与えた傑作映像)のパロディになっていま

す。マイノリティを攻撃し、60年代の公民権運動やベトナム反戦運動を徹底的に誹謗する、

謂わば Sixties-phobia(60年代嫌い)を標榜しながら、その実選挙運動では60年代のスタイ

ルを踏襲しているのですから、二重三重に仕掛けが施されています。

対立候補のリベラルな政治家に対し選挙戦が劣勢になると、自らが暗殺未遂事件の犠牲者

となります。実はこれはヤラセで、彼を常日頃激しく糾弾していた黒人ジャーナリストを事件の

ドサクサに紛れて犯人にでっち上げて射殺、逆に劣勢を一気に挽回します。この辺りになって

くると、パロディや風刺の域を超え完全に悪夢としかいいようのない世界に踏み込んでいきま

す。

「悪人が善人のように見える。ネオ・ファシストがスマートなミュージシャンのように見える。右

翼がニュー・レフトのように見える。この映画にさまざまな、外見と内容の落差、逆転があり、

それが、この映画の印象を複雑なものにしている。逆にいえば、その複雑な構造を読みといて

いくのが、面白さになっている」

これは、評論家の川本三郎氏が映画公開時に寄稿した批評の一節です(「キネマ旬報」93年

3月下旬号)。「この映画の印象を複雑なものにしている」のは、メディアが現実の奥深くまで

浸食し、虚実の区別が極めて曖昧になっている現実のせいです。この現状は、映画化以降も

悪化の一途を辿っていますが、そういう素材を第一回監督作品で取り上げ、リアリティ溢れる

スリリングな傑作に仕上げたティム・ロビンスの先見の明と才能には、脱帽するのみです。