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2013年8月

2013年8月20日 (火)

映画を浴びて 2013年 8月 映画評と雑感

今年の夏は、降ったり照ったり予測不能な空模様、異常気象を、はるかに通り越したもの
だ。夏蕎麦を食しながら見上げる空と洒落込むつもりはないが、こんな時は映画もやはり
喉越しのいいものがいい。

ウォルター・ヒルの「バレッド」をみた。10年ぶりという作品。昔みた「48時間」を思い出した。ニック・ノルテイとエデイ・マーフイの白人刑事と黒人服役囚のコンビで捜査に当たるのだが、このコンビの掛け合いが絶妙で忘れられない。硬派と軟派のテンポのいい凹凸コンビで快調に進められてゆく。男の心意気と友情、味のある演出であったが、何といってもアクションシ-ンの画面の向こう側から観客に向かって破壊されてゆくものの声にならないメッセ-ジ、まさに個が解体されてゆく大写しのスロ-モ-ションやストップモ-ションの多用によるあの身を投げだすようなのしかかるな映像の魅力。そんな激しい迫りぐあいが快感がヒル映画の専売特許であったのだ。当時それは今でいう3Dのような迫力と恐れを感じたものであった。

「バレット」は、人生に少し疲れた殺し屋のスタロ-ンが若い刑事と組んで悪徳刑事と対決する構図である。「48時間」の逆である。殺し屋と刑事、追うものと終われるものが一緒になって事に当たる。単純でいいし疲れないし判りやすいのが味噌。国家と自我、組織と彼我、社会の仕組みがみ見えやすい二元論で切るつもりはないが。女気のなさは流石である。

夏は暑い、しのぎいい涼しい場所は何処かと、映画館をさまよって歩くに決まっている。
彼の映画作りには暑い女優は無用なのか。扱いが今もって味も素っ気もない。又これもい
いのであろう。気を遣うのが下手である。それに面倒なのであろうか。こんな監督が一人
くらい居てもいい。

そういえば黒澤明監督の「用心棒」のリメイクが「ラストマン・スタンデング」であっ
たが、用心棒のブル-ス・ウイルス、ひたすらなマッチョ役。あの中でも人質の女性の扱
いの乱暴さは、やはり下手一品であった。この辺で色物が欲しいのだが。という場面で、
ないのだから立派。ひたすら生きるか死ぬかの銃撃戦、無機的な死と有機的な死の積みか
さねに。寂しい心意気が吹いていた。

例えば「48時間」のニック・ノルテイとエデイ・マーフィのようなコンビのキャラクタ-が生きていない。あの二人には俳優としての色気があったが。スタロ-ンは女優が絡まないと自分では色気が出せない俳優なのかも知れない。例えば「暗殺者」という映画の中でのスタロ-ンはよかったな。監督はリチャ-ド・ドナ-であった。ナンバ-ワンを競う二人の殺し屋。アントニオ・バンデランスが飛びぬけて色気ある敵役で好演、対するク-ルで言葉少ないスタロ-ンがまぶしく光っていたのが忘れられない。1995年の作品だった。誰とどのようにコンビを組むかで映画も物語も変わるものだとつくづく思った。俳優スタロ-ンには年輪を重ねた色気がないのであろうか。これは発見だ。衰弱のみが進行している役者は寂しい。無残である。俳優は映画という荒野の中で晒されて生き、荒野の中で晒されて死んでゆく。それでいいのかも知れない。荒野は大衆なのだから。人生も然りであろうか。《虚実皮膜の精神」。生もまた見知らぬ荒野である。旅はどんなコンビと組むか組んだか、が終生の問いである。1本の映画の彼方には常にそんな人生の問いかけが見える。シナリオライタ-造る人、演じる人。

(川上明日夫)

2013年8月16日 (金)

新・身も心も 75 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』2000年 

アイスランドの歌姫ビョーク(Bjork)が、5年振りに来日しました。

 ぼくはデビュー以来熱烈なビョークのファンで、彼女のコンサートを初めて観たのは、『ヴォルタ』リリース後の来日公演で。2008年2月22日、日本武道館のなんとアリーナ席で観る/聴くことが叶いました。2011年にリリースされた『バイオフィリア』は、ポスト・ビョークというか、今まで彼女がやってきた音楽とはかなり様相を異にしており、意欲的かつ前衛的な取り組みなので音を聴いただけでは分かりにくい部分も多々あり、生で見られることが余計嬉しかったです。

今回は東京でのみ3日間、日本科学未来館での公演です(ぼくは7月31日に観ました)。7月27日に野外フェス(フジ・ロック・フェスティバル)出演後、今度は一転して800人余の小さな会場でライヴを行うというのも驚きですが、中央のステージを取り囲むように立ち見席があり、その後ろに若干指定席(椅子席)が置かれています。世界ツアーは全てこのフォーマットで行っているそうで、ライブハウスに近い雰囲気で「生ビョーク」を体感出来るなんて、これはもう一期一会の至福です。

ステージ上方に、大きなディスプレイが8枚。舞台にはキーボード、パーカッション、グラヴィティ・ハープ、パイプ・オルガン。20時を少し回った頃、14人のコーラス隊グラデュアレ・ノビリ(Graduale Nobili)が登壇し、続いてドラムのマヌ・デラゴ(Manu Delago)とプロデューサー兼プログラマーのマット・ロバートソン(Matt Robertson)が入場、その後ビョークが登場します。花弁をあしらった銀色のコスチュームで、頭には赤いウィグ。いつもながら奇抜にブッ飛んで、かつカッコイイ衣装です。

 まるでグレゴリオ聖歌を思わせる荘厳で美しいコーラス「オスカースタイナー」を皮切りに、コンサートが始まります。『バイオフィリア』からの曲が中心で、アルバムで聴いた時以上に凄い迫力。やはり生で聴く、強靭で太くて深いビョークの地声には圧倒されます。どれだけテクノロジーが発達しても人間の「声」には決して勝てないとよく言われますが、正にそれを地で行くような歌唱です。ナレーションが、「自然」「音楽」「テクノロジー」の融合云々ということを言っていましたが、ビョークの声に勝るテクノロジーなど無いですね。

 正直、楽曲のメロディ・ラインは覚えにくいし、コーラスも聞き手を心地良くするハーモニーではなく、もっと神秘的で不可解なエニグマ。ところがそういう曲が続いていくと、ビョークが殆ど巫女(シャーマン)と化し、あたかも祈りの儀典を行っているかのように感じられてきます。それ位、ビョークのカリスマ性・存在感は圧倒的なのです。CDを聴くだけでは把握しきれなかった部分が、直感的にすっと理解できました。

 後半「ペイガン・ポエトリー」からは、従来のビョーク・サウンドが炸裂。観客の興奮度も一気に最高潮に達し、後はただ巨大な音の奔流に巻き込まれるのみ。90分という短めのライブでしたが、こんな形でビョークのライブを経験出来て、本当に幸福でした。

 さて、ビョークのライブなんてそうそう体験できるものじゃないですから、手軽に見られる手立てとして、今回はラース・フォン・トリア監督『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を御紹介しましょう。
エミリー・ワトソン主演『奇跡の海』(1996年)で強烈なインパクトを与えたトリアー監督が、今度はビョークと組む――このニュースを聞いただけで、当時の映画・音楽ファンは興奮しましたが、2000年カンヌ映画祭ではパルムドールと主演女優賞(ビョーク)を見事受賞し、同年12月に日本公開とあいなりました。

1960年代アメリカの片田舎が舞台で――ちなみにトリアー監督は大の飛行機嫌いで、この映画も全てヨーロッパで撮影したとか――東欧からの移民セルマ(ビョーク)が、女手一つで息子を育てています。彼女は遺伝性の病気の為視力を失いつつあり、唯一の楽しみは、空想の世界の中でミュージカルを唄い演じること。しかし、セルマには余りに残酷な運命が待ち構えていました・・・。

セルマと一体化したビョークの存在感がとにかく圧倒的で、本作はビョークのビョークによるビョークのための映画でした。現実場面は色彩を抑えたドキュメンタリー風画面で、空想場面は100台のカメラを駆使して撮ったハリウッド調総天然色画調でと、二つの全く異なる演出スタイルをとったのも鮮やかでしたね(撮影は名手ロビー・ミュラー)。『奇跡の海』や『ドッグヴィル』同様、極限までヒロインを追いこんでいく遠慮呵責ないトリアーの演出は、いつものことながら迫力横溢でした。

その余りの救いの無い展開およびエンディングには賛否両論ありましたが、ぼくはギリシァ悲劇のヒロインの如く、全く救いの無い絶望的状況で耐え忍ぶビョークに崇高で神々しい美しさを強く感じ、鑑賞後繰り返しサントラ(“Selmasongs”)を繰り返し聞いたのを、よく覚えています。 

(稲葉芳明)

2013年8月12日 (月)

散歩道⑮ シリーズ映画の魅力

 映画好きの友人と話をしていたら、寅さんの映画が好きだったと意外なことを言う。文芸作品が好きなのかとばかり思っていた。寅さんの映画には、人間の強いところ、弱いところ、人の哀しみや喜びがあっていいのだそうだ。実際にはありえない話だが、人情ものの作品として寅さんの映画は優れていると力説するのである。しかも一度くらいはお腹を抱えて笑える場面もあるそうで、このシリーズのほとんどを観たという。中でも都はるみが出ていたのがよかったと熱っぽく語るのだ。
 
 もう一つ、「釣りバカ日記」も人気があるそうで、こちらと寅さんとでは六対四くらいで「釣りバカ日記」の方に人気があるらしい。私はこれも観ていない。どちらも好みでないのだ。だがこうなると、寅さんも釣りバカも観ておけばよかったと、今になって残念な思いがしている。
 
 それでわかったことがある。観光バスで旅行に行くと、帰りはたいてい映画を映す。これがいつも「釣りバカ日記」なのだ。旅行も終わりに近づき、疲れているから軽い映画なのかと思っていたが、友人によれば、この映画は可もなく不可もなく、写っていても邪魔にならない、BGMのようなものだという。それに、人気があるのも旅行会社はわかっているのだ。バスの中で居眠りしながら西田敏行と三国連太郎の、これもありえない会話を聞いていたことを思いだすと、神経を刺激しない映画も、好まれるのだなと思ったりする。
 
 こういうシリーズものにはフアンがたくさんいるのだ。私だって「踊る大捜査線」を観ていたから、寅さんフアンや釣りバカフアンと同じようなものだ。役者の魅力もあるが、大方のストーリーの予測がついて、ラストの見える映画は、はらはらどきどきはなくても十分楽しめるものを持っているのだと思う。あり得ない話でも、人の正直な生き方が散りばめてあり、温かみがある。
 
 それでいくと西部劇だって、流れ者が来て、保安官がいてと登場人物はほぼ決まっている。これはテレビドラマだが、「水戸黄門」や「銭形平次」もラストは決まっていた。だが、さあ、いまに印籠が出てくるぞ、もうすぐ銭が飛ぶなと、胸のすく瞬間を楽しみに待っている。みんな正義が好きなのだ。温かい映画にほっとするのだ。シリーズものの人気はこういうところにあるのかも知れない。
(中島美千代)

福井映画サークルスタッフ会議兼、定例会

福井映画サークルスタッフ会議兼、定例会を

2013年8月12日(月)午後8時より事務所にて開催します。
映画談議とメトロ劇場鑑賞券争奪ビンゴゲームをしてみようと思います。