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2013年8月16日 (金)

新・身も心も 75 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』2000年 

アイスランドの歌姫ビョーク(Bjork)が、5年振りに来日しました。

 ぼくはデビュー以来熱烈なビョークのファンで、彼女のコンサートを初めて観たのは、『ヴォルタ』リリース後の来日公演で。2008年2月22日、日本武道館のなんとアリーナ席で観る/聴くことが叶いました。2011年にリリースされた『バイオフィリア』は、ポスト・ビョークというか、今まで彼女がやってきた音楽とはかなり様相を異にしており、意欲的かつ前衛的な取り組みなので音を聴いただけでは分かりにくい部分も多々あり、生で見られることが余計嬉しかったです。

今回は東京でのみ3日間、日本科学未来館での公演です(ぼくは7月31日に観ました)。7月27日に野外フェス(フジ・ロック・フェスティバル)出演後、今度は一転して800人余の小さな会場でライヴを行うというのも驚きですが、中央のステージを取り囲むように立ち見席があり、その後ろに若干指定席(椅子席)が置かれています。世界ツアーは全てこのフォーマットで行っているそうで、ライブハウスに近い雰囲気で「生ビョーク」を体感出来るなんて、これはもう一期一会の至福です。

ステージ上方に、大きなディスプレイが8枚。舞台にはキーボード、パーカッション、グラヴィティ・ハープ、パイプ・オルガン。20時を少し回った頃、14人のコーラス隊グラデュアレ・ノビリ(Graduale Nobili)が登壇し、続いてドラムのマヌ・デラゴ(Manu Delago)とプロデューサー兼プログラマーのマット・ロバートソン(Matt Robertson)が入場、その後ビョークが登場します。花弁をあしらった銀色のコスチュームで、頭には赤いウィグ。いつもながら奇抜にブッ飛んで、かつカッコイイ衣装です。

 まるでグレゴリオ聖歌を思わせる荘厳で美しいコーラス「オスカースタイナー」を皮切りに、コンサートが始まります。『バイオフィリア』からの曲が中心で、アルバムで聴いた時以上に凄い迫力。やはり生で聴く、強靭で太くて深いビョークの地声には圧倒されます。どれだけテクノロジーが発達しても人間の「声」には決して勝てないとよく言われますが、正にそれを地で行くような歌唱です。ナレーションが、「自然」「音楽」「テクノロジー」の融合云々ということを言っていましたが、ビョークの声に勝るテクノロジーなど無いですね。

 正直、楽曲のメロディ・ラインは覚えにくいし、コーラスも聞き手を心地良くするハーモニーではなく、もっと神秘的で不可解なエニグマ。ところがそういう曲が続いていくと、ビョークが殆ど巫女(シャーマン)と化し、あたかも祈りの儀典を行っているかのように感じられてきます。それ位、ビョークのカリスマ性・存在感は圧倒的なのです。CDを聴くだけでは把握しきれなかった部分が、直感的にすっと理解できました。

 後半「ペイガン・ポエトリー」からは、従来のビョーク・サウンドが炸裂。観客の興奮度も一気に最高潮に達し、後はただ巨大な音の奔流に巻き込まれるのみ。90分という短めのライブでしたが、こんな形でビョークのライブを経験出来て、本当に幸福でした。

 さて、ビョークのライブなんてそうそう体験できるものじゃないですから、手軽に見られる手立てとして、今回はラース・フォン・トリア監督『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を御紹介しましょう。
エミリー・ワトソン主演『奇跡の海』(1996年)で強烈なインパクトを与えたトリアー監督が、今度はビョークと組む――このニュースを聞いただけで、当時の映画・音楽ファンは興奮しましたが、2000年カンヌ映画祭ではパルムドールと主演女優賞(ビョーク)を見事受賞し、同年12月に日本公開とあいなりました。

1960年代アメリカの片田舎が舞台で――ちなみにトリアー監督は大の飛行機嫌いで、この映画も全てヨーロッパで撮影したとか――東欧からの移民セルマ(ビョーク)が、女手一つで息子を育てています。彼女は遺伝性の病気の為視力を失いつつあり、唯一の楽しみは、空想の世界の中でミュージカルを唄い演じること。しかし、セルマには余りに残酷な運命が待ち構えていました・・・。

セルマと一体化したビョークの存在感がとにかく圧倒的で、本作はビョークのビョークによるビョークのための映画でした。現実場面は色彩を抑えたドキュメンタリー風画面で、空想場面は100台のカメラを駆使して撮ったハリウッド調総天然色画調でと、二つの全く異なる演出スタイルをとったのも鮮やかでしたね(撮影は名手ロビー・ミュラー)。『奇跡の海』や『ドッグヴィル』同様、極限までヒロインを追いこんでいく遠慮呵責ないトリアーの演出は、いつものことながら迫力横溢でした。

その余りの救いの無い展開およびエンディングには賛否両論ありましたが、ぼくはギリシァ悲劇のヒロインの如く、全く救いの無い絶望的状況で耐え忍ぶビョークに崇高で神々しい美しさを強く感じ、鑑賞後繰り返しサントラ(“Selmasongs”)を繰り返し聞いたのを、よく覚えています。 

(稲葉芳明)

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