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2014年7月31日 (木)

スパイク・ジョーンズ監督『her/世界でひとつの彼女』(米、2013年)

稲葉芳明

近未来のロサンゼルス。

セオドア(ホアキン・フェニックス)は、顧客の依頼で家族や恋人へ親愛の手紙をしたためる“代筆ライター”。感性が豊かで繊細な彼は、社内ではその文才を存分に生かした仕事ぶりで一目おかれているが、実生活では幼馴染の妻キャサリン(ルーニー・マーラ)と離婚調停が進んでいる。同じマンションに暮らす友人エイミー(エイミー・アダムス)は、デートの相手を紹介しようとするものの、彼は妻への未練が断ち切れず悶々と日々を過ごしている。

そんなある日、“It's not just an operating system, it's a consciousness.”(これはただのオペレーティング・システムではない。意識をもつOSだ)という宣伝文句に惹かれ、セオドアは最新式人工知能 “OS1” を購入する。幾つかの質問に答え、最適化されたOSが起動すると、画面から聞こえてきたのは自らサマンサと名乗る人工合成の「声」。

サマンサ(スカーレット・ヨハンソン)は有能な秘書ぶりを発揮し、メールの整理など朝飯前。原稿の構成も手際よく行って、本を編集して出版社に売り込むほどの手際の良さ。仕事面だけではなく、セオドアの愚痴にも優しく耳を傾け、キャサリン不在の空白を埋める存在に。いつしかセオドアは、サマンサなしでは夜も日も明けぬようになり、遂に二人は相思相愛の仲となるのだが――。

 通常なら、これは一風変わった恋愛映画か都会型喜劇のプロットとなるところだろう。あるいは、現実の人間と接するのが苦手で、ヴァーチャル・リアリティにしか生きがいを見出せない「ネト充」人間を辛辣に風刺する社会戯画に仕上げるアプローチも有りか。ところがこの映画、そんな皮相なレベルを突き抜けた傑作に昇華した。何故か?

 一つの理由は、スパイク・ジョーンズ監督自ら手がけた脚本の、斬新な発想と完成度の高さ。セオドアは、依頼主に代わって親書を手掛ける時は情感溢れる名文を綴り、手紙という形で相手と心のこもった交流をすることが出来る。しかし実生活においては、奥さんと上手く意思疎通を図ることが出来ない。多くの市民が耳にはめ込んだ超小型コンピューターとひたすら会話する現代社会において、主人公はOS相手なら自然に接し、時には内面を赤裸々に曝け出し、時にはそこに安らぎを見出す。これらのエピソードが複合的に重ね合わせられ、現代(近未来)における「コミュニケーション」の意義と方法論を思索していくプロセスが実に見事である(実のところ筆者には、サマンサの「声」が、かの『2001年宇宙の旅』のスーパー・コンピューターHAL 9000と次第に重なっていった)。でも、過度に生真面目に、深刻になり過ぎることもない。無駄の無い展開と磨き上げられた台詞によって、ウディ・アレン映画を幾分オフビート気味にしたような、ライトでマイルドで知的な雰囲気を醸し出す手法が鮮やかである。

 二つ目の理由は、主役のホアキン・フェニックスとスカーレット・ヨハンソンの名コンビぶり。ヨハンソンは「声」のみの登場、しかも所詮人口合成音に過ぎないのに、ちょっとハスキーがかった声で主人公を優しく慰撫したり励ましたり、甘い声で笑ってみたり、時にはツンと拗ねてみせたり、その声自体が艶っぽくてすこぶる魅力的で、台詞回しの巧みさはもう絶品。これはもう、セオドアのみならず大抵の男性顧客は一目惚れ、もとい、一「声」惚れするだろうし、こんなOSが売り出された節には筆者は即「買い」である(笑)。

ホアキン・フェニックスはサマンサ相手に自然な「受け」の演技に徹していて、図らずも人工知能と恋に落ちる男性を、奇異と感じさせない存在感を示している。この二人の相性は抜群で(There’s good chemistry between them.)、その極めつけは二人の「ラヴシーン」!これは映画史上初とも言えるユニークな展開で、筆者は驚きを通り越して最後には感動した。

三つ目の理由は演出のセンス。明るい色彩を活かしたポップな画調で、近未来の都会を身近なものにすんなり納得させる映像造形力に加え、音楽の使い方の抜群のセンス(Arcade FireやKaren O)にも唸らされた。

 

セオドアとサマンサの恋の行方は、此処では記さないでおこう。

『2001年宇宙の旅』に登場したStar Childではないが、人類の叡智を易々と超える人工知能と我々人間は、今後どう向き合うのか、付き合っていけるのかと云う深遠で哲学的主題がさりげなく提示され、複雑で不思議な余韻を残すことは間違いない。あとは、個々の観客に解釈が任されていると言えよう。

筆者は、形而上学的コミュニケーションというか、人間と人工知能(非人間的存在)との「究極の恋」の顛末に深遠かつ現代的なテーマを見出すと共に、人が人と接し愛することの素晴らしさと美しさを、再認識させられた。

Her

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