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新・身も心も Feed

2014年4月30日 (水)

新・身も心も 83 『アナと雪の女王』(Frozen, 2013)

筆者は、40年以上に及ぶ筋金入りのディズニー・ファンです。
『白雪姫』(1937)『ファンタジア』(1940)『シンデレラ』(1950)等の古典的名作は、リバイバル上映で。1970年代~80年代の低迷期の後、『リトル・マーメイド』(1989)を嚆矢とする輝かしい「ディズニー・ルネサンス Disney Renaissance, 1989~1999」の珠玉の名作群――『美女と野獣』(1991)、『アラジン』(1992)、『ライオン・キング』(1994)、『ポカホンタス』(1995)、『ターザン』(1999)――は、封切り時に映画館で観てきました。
万人が認める長編アニメショーン映画の牙城として世界に君臨してきたディズニーですが、『トイ・ストーリー』(1995)以降CGアニメの新しい潮流が世界を覆ってからは、再度低迷期に入ります。ピクサーやドリームワークスといった新興企業の勢いに、老舗としての存在感が薄くなった感がありました。
10年余り不振が続いたディズニー・スタジオが、三度不死鳥のように蘇る兆しが最初に認められたのは、『プリンセスと魔法のキス』(2009)です。これ以降は『塔の上のラプンツェル』(2010)、『シュガー・ラッシュ』(2012)とヒット作を連打し、最新作『アナと雪の女王』(2013)はあの『ライオン・キング』をも抜きさるディズニー史上最大のヒット作となり、全世界興行収入は早くも11億ドルを突破しました。
筆者は封切り直後に観ましたが、いや~もう感動の嵐でした。この時は2D字幕だったので、どうしても3D字幕版で体験したくなり、花のお江戸は日本橋まで足を運びました。この3月にオープンしたばかりのTOHOシネマズ日本橋は、とてもシネコンとは思えない豪華贅沢な作りで、【3D・字幕・TCX(東宝独自規格のラージスクリーン)・ドルビーアトモス(天井にもスピーカーを設置した世界最先端ドルビー音響)】という現在日本で考えられうる最高の上映環境で再度堪能した次第です。
では、世界中の人々をこんなにも夢中にする『アナと雪の女王』の魅力とは一体何でしょうか?
まずはCGアニメーションによる雪や氷の卓越した描写・造形力が挙げられます。玩具や車といった物体、あるいは魚やモンスターといった生物が主人公ではなく、人間とその自然環境というパースペクティヴで映像世界を創るには、大変な手間と時間を要します。でも、全篇完璧な映像に仕上がっていて、エルサが魔法で巨大な氷の城を築く場面は圧巻の一語に尽きますし、大詰め、猛吹雪の中クリストフがアナ救出に向かう緊迫感も素晴らしかったですね。
次に、ミュージカルとしての魅力。冒頭、アナがエルサに呼びかける愛らしいナンバー“Do You Want to Build a Snowman?”、エルサとアナのデュエット“For the First Time in Forever”、ハナとハンスがラブコメ的楽しさ一杯に唄う“Love Is an Open Door”、古き良きハリウッド・ミュージカルを彷彿させるボードヴィル調ナンバー“In Summer”等々名曲のオンパレード。近年ブロードウェイで大ヒット作を連発しているロバート・ロペスが、奥さんのクリステン・アンダーソンと組んで書いた楽曲は外れ無し。勿論、最大の聞きものは“Let It Go”ですが、このアカデミー賞主題歌賞受賞の大名曲については、もはや多くを語る必要はないでしょう。
そして忘れてならないのは、本作の主題である「愛」。白雪姫と白馬の王子様(Prince Charming)に始まって美女と野獣(Beauty and the Beast)に至るまで、これまでディズニーが描いてきた「愛」は殆ど全てが「恋=男女の愛」でした。しかし、この映画では違います。映画のクライマックス、観客は誰しもアナとクリストフのキスを期待します。されど、アナはクリストフとの愛よりも姉エルサを救うべく自らの身を投げ打ち、この献身的行為 (an act of true love) こそが結果的に物語を大団円へと導くのです。図式的で分かり易い「男と女の愛」「善と悪の対立」ではなく、「姉妹の愛」「自己と他者」を物語の核とし、現代社会の大きな問題点である「孤立と排他」にまで踏み込んでいるのは、う~むディズニー恐るべし!加えて、万人受けするキャラクター=オラフもちゃんと登場させるなど、嫌になるくらい隙の無い作劇術ですね。
と、ここで筆者はある作品を連想しました――それは、ブロードウェイ・ミュージカル『ウィキッド』です。「オズの魔法使い」前日譚であるこの作品は、皆から疎まれる魔女エルファバと誰からも好かれる魔女グリンダの、二人の「愛」が主題でした(実は、エルファバ役でトニー賞ミュージカル主演女優賞を受賞したイディナ・メンゼルが、本作でエルサ役を演じています)。女性たちの友情と自立と別離を感動的に描いたこのミュージカルは、全く別の道を歩む二人の、立ち場の違いを超えて最後まで相手を信じる気持ち――友情を凌駕した「愛」――が、胸を締め付けるような強烈な共感と感動を与えてくれました。だからこそ、筆者にはエルサとアナの二人が、エルファバとグリンダの関係に重なって見えたのです。

ちなみに蛇足を一言。
2007年に劇団四季が初演した『ウィキッド』を観て大大感激した筆者は、四季の舞台に通うだけでは飽き足らず、病高じて遂には2008年12月にNew York Broadway Gershwin Theaterまで「遠征」しました。その際大枚$350はたいて、中央ブロック前から2列目というプラチナシートで観劇したのも、懐かしい思い出です。

稲葉芳明

2014年3月30日 (日)

新・身も心も 82 「第86回アカデミー賞」

本年第86回アカデミー賞は、例年になく質の高い作品がならびました。作品賞候補9作品のうち、6月日本公開『her/世界でひとつの彼女』を除く8本を現時点で観ることが出来ましたので、今回はこれらの作品をぼくが観た鑑賞順に御紹介致します。

『キャプテン・フィリップス』(2013年11月29日 コロナシネマワールド10) ポール・グリーングラス監督独特の、手持ちカメラを多用したドキュメンタリー風臨場感溢れるサスペンス演出がまず抜群です。加えて、海賊に襲撃された貨物船の船長を演ずるトム・ハンクスの演技も風格と人間味が醸し出されていて素晴らしい。見ている間中ハラハラドキドキ、手に汗握る緊張感とは正にこのことでした。

『ゼロ・グラヴィティ』(2013年12月23日 109シネマズ川崎シアター7、2014年3月1日 テアトルサンク1) どうせ観るならと、福井で封切られた後もジッと我慢の子状態で、IMAX3D版を観る機会を虎視眈々と狙っていました。で、実際IMAXで観たら、「見る」んじゃなくて、「体験」する作品なのだとぶっ飛んじゃいました。 CGで作った所詮ヴァーチャルな映像なのに、これだけ宇宙空間をリアルに感じさせるのはもう驚異の一言に尽きます。『2001年宇宙の旅』にも似たあの恐ろしいほどの孤独感と神秘感に、アクション映画並みのスリルとサスペンスもたっぷり盛り込んでいる。アルフォンソ・キュアロン監督が映像表現に新次元を切り拓いた、エポック・メイキングな傑作です。 その後、福井県民が誇る(笑)テアトルサンク1の大スクリーンで公開されたのを機に、再見。サンドラ・ブロックを捉える、神にも似た視点にますます驚嘆。対象物を動かすと同時に、視点を自在に操る複雑な映像造形は、恐らく気が遠くなるほどの手間と時間がかかったことでありましょう。そしてこの映画はSF映画であると同時に、「再生」の人間ドラマであることが感銘を深くしていることも確認できました。

『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2014年2月1日 TOHOシネマズ梅田シアター9) 全篇Fワードが飛び交い、金とセックスとドラッグが溢れかえる証券マンの実話。この危ない企画に果敢に(無謀に?笑)挑んだスコセッシ&ディカプリオの勇気はエライですが、ピカレスク・ロマンと称するには主人公が下種でチンケだし、『レイジング・ブル』の斬新さ・鮮烈さや『グッドフェローズ』の美学は希薄で、傑作の域にまでは至らなかったのが残念。

『アメリカン・ハッスル』(2月10日 テアトルサンク3) クリスチャン・ベイル、エイミー・アダムス、ブラッドリー・クーパー、ジェニファー・ローレンスおまけにデニーロまで顔を出すという超豪華キャストがまず壮観。融通無碍のデヴィッド・ラッセルの演出はいつもながら冴えているし、70sロックやエリントンの音楽を流すセンスにもニヤリ。コンゲームをスピーディにユーモラスに辛辣に描いた快作。

『ダラス・バイヤーズクラブ』(2月22日 テアトル梅田2) 出鱈目な生活を送る男が、文字通り生き続けるために「自分」と「国」と闘い続けた実話。脚本・演出もさりながら、何よりマシュー・マコナヘイとジャレッド・レトの演技が圧巻でした。難病モノは苦手ですし、主人公も(最初は)嫌な奴なんですが、主人公の戦いぶりに観客が次第に共感していく作り方が上手いですね。

『それでも夜は明ける』(3月9日 TOHOシネマズスカラ座) 見たくない思い出したくない〈史実〉を、感傷と誇張を排した作劇術によって観客に否応なしに直視させる力作。最後まで誇りを失わぬソロモン(キウェテル・イジョフォー)の剛毅と品格、偏執的でサディスティックな選民主義者エップス(マイケル・ファスベンダー)の不気味さが圧倒的。南部の風土感もよく捉えられていますし、セミ・クラシックを演奏していたソロモンが最後の最後に唄う黒人霊歌は、米国の黒人音楽のルーツを啓示しているようで鳥肌が立ちました。

『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』(3月15日 TOHOシネマズシャンテ2) アレクサンダー・ペイン監督らしい、飄々としたユーモアと滋味な味わいに満ちた〈ロード・ムーヴィ〉。背景に広がる中西部のだだっ広い空間を、モノクロワイド画面で捉える映像の妙。ブルース・ダーンとウィル・フォーテの親子二人旅は、米国老人版寅さんのようなペーソスがあっていいなあ。

『あなたを抱きしめる日まで』(3月23日 シネスイッチ銀座1)  一歩間違えると社会面的ベタな話になるところを、ユーモアとウィットを交えて巧みな話術で描くスティーヴン・フリアーズ監督の演出は如何にも英国的。主演・脚本のスティーヴ・クーガンも技能賞モノです。そしてジュディ・デンチ――誰しも認める上手い女優さんが、またしても上手い演技を見せ、もう賛辞の言葉のネタが切れました。

(稲葉芳明)





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2014年2月14日 (金)

 新・身も心も 81 『エレニの帰郷』(Trilogia II: I skoni tou hronou、2008年)

 

「映画の歴史はテオ・アンゲロプロス監督の前と後によって分かれるのではないか。最初に『旅芸人の記録』を観た時、それほどのショックを受けました」――こう述べるのは東京大学教授藤原帰一氏ですが、ぼくも全く同感です。

ルキノ・ヴィスコンティ(1906~76)、黒澤明(1910~98)、イングマル・ベルイマン(1918~2007)、フェデリコ・フェリーニ(1920~93)がそうであったように、そのフィルモグラフィが一つのジャンルとして世界映画史に超然と聳え立つ存在として、ぼくはテオ・アンゲロプロス(1935~2012)の映画を、畏敬の念を持って見続けてきました。だから、2012年1月24日に撮影中のオートバイ事故により急逝し、アンゲロプロスの新作はもう見ることが叶わなくなったのは痛恨の極みです。しかし幸いなことに、遺作となった『エレニの帰郷』(『エレニの旅』に続く、二十世紀を主題とした三部作〈トリロジア〉第二部)が此の度日本でも公開されましたので、これを機に巨匠アンゲロプロスの軌跡を振り返ってみようと思います(以下は劇場公開された長編作品リストで、日本封切日・劇場およびぼくが観た鑑賞日・劇場を付記しました。なお*がついている劇場は、その後閉館になったことを意味します)。

Theo Angelopoulos Filmography

1970『再現』(110分、日本未公開)

1972『1936年の日々』(110分、日本未公開)

1975『旅芸人の記録』(232分、1979年8月11日 岩波ホール、1980年9月14日 メトロ劇場)

1977『狩人』(165分、1992年11月14日 シャンテシネ2、未見)

1980『アレクサンダー大王』(210分、1982年3月20日 岩波ホール、未見)

1984『シテール島への船出』(140分、1986年2月8日 シネ・ヴィヴァン・六本木*、同年3月23日 シネ・ヴィヴァン・六本木*)

1986『蜂の旅人』(122分、1996年6月22日 シャンテシネ2、未見)

1988『霧の中の風景』(126分、1990年3月24日 シャンテシネ2、1991年11月24日 メトロ劇場)

1991『こうのとり、たちずさんで』(142分、1992年9月19日 シャンテシネ2、1993年2月13日 高田馬場東映パラス*)

1995『ユリシーズの瞳』(177分、1996年3月23日 シャンテシネ2、同年5月24日 ヘラルドシネプラザ50*)

1998『永遠と一日』(134分、1999年4月17日 シャンテシネ2、同年8月23日 下高井戸シネマ)

2004『エレニの旅』(170分、2005年4月29日 TOHOシネマズシャンテ、同年6月10日 OS劇場* 2006年2月18日 リサイタルホール*)

2008『エレニの帰郷』(127分、2014年1月24日 新宿バルト9、同年2月1日 梅田ブルク7)

 古典劇を上演しながら各地を回る旅芸人一座を狂言回しにして、古代神話から現代に至るギリシァ史を、時空を自在に超越して壮大なスケールで語ってみせた『旅芸人の記録』は、公開当時、世界の映画界を驚愕させました。とりわけ徹底したワンシーン・ワンカット――10分を超えるカットはざら――で構築された映像美は観る者全てを圧倒し、再度藤原帰一氏の評言を借りますと、「時間の往復やカメラの長回しによって、ほかの映画とはまるで異なる空間がつくられていました。監督の意識のなかに誘い込まれ、意識の流れに左右されると言えばいいんでしょうか。これが映画だとすればこれまで観てきた映画はいったい何だったのか。そう思うほどの衝撃でした」。  

ただ正直に告白しますと、作品に圧倒されつつも、自分が完全に理解出来たという自信はありません。というのも、ギリシァを含むヨーロッパ、ひいては近代世界史を包括する俯瞰的視座と、絶えず画面を凝視することを求める異様に緊張度が高い映像造形は、観る側にもそれなりの「資格」と「姿勢」が求められていたからです。でも、未熟者の鑑賞者ではありましたが、アンゲロプロスの新しい作品が公開されるとなると、胸ときめかせ劇場に足を運びました。多分それは、ぼくより一世代上のシネマディクト達が、高揚した気分で黒澤やフェリーニの新作に接したのと同じだと思います。  

 アンゲロプロスの映画は、後年になるとより寓話的になり、時には豊かな抒情性を湛え、幾分親しみ易い作風になりました。『エレニの帰郷』は難解ではありますが、ウィレム・デフォー、ブルーノ・ガンツ、ミシェル・ピッコリ、イレーネ・ジャコブの素晴らしい演技アンサンブルと豊かな映像美に浸り、2時間7分の間至福の時を過ごすことが出来ました。

「映画という『第七藝術』は、詩歌・小説・演劇・音楽・パロールを含む、あらゆる種類の芸術が映画の材料となりうるし、芸術のあらゆる分野を映画が結びつける」テオ・アンゲロプロス                          

(稲葉芳明)





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2014年1月10日 (金)

新・身も心も 80 “Best of 2013”

2013年は見応えのある作品が次々に公開され、個人的には近年稀にみる豊作の一年だったなと有難く思っています。

というわけで今回はまず、2013年1月~12月に日本で公開された作品(商業劇場で封切られた作品、リバイバルおよび完全版は除く)の中から、観た順に私的ベスト30を選出してみましょう。(題名、鑑賞日、鑑賞劇場の順に記載)。

 

○ 東京家族(1月26日、コロナシネマワールド)

○ ライフ・オブ・パイ<3D>(2月10日、大阪ステーションシティシネマ)

○ ゼロ・ダーク・サーティ(2月15日、コロナシネマワールド)

○ 愛、アムール(3月16日、シネ・リーブル梅田)

○ ザ・マスター(3月26日、TOHOシネマズ二条)

○ ジャンゴ 繋がれざる者(4月6日、コロナシネマワールド)

○ 舟を編む(4月13日、コロナシネマワールド)

○ リンカーン(4月19日、コロナシネマワールド)

○ ホーリー・モーターズ(4月26日、梅田ガーデンシネマ)

○ ハッシュパピー バスタブ島の少女(5月3日、シネ・リーブル梅田)

○ 言の葉の庭(5月31日、TOHOシネマズ渋谷)

○ ビル・カニンガム&ニューヨーク(6月1日、新宿バルト)

○ 風立ちぬ(7月21日、27日、テアトルサンク)

○ SHORT PEACE(7月31日、渋谷シネパレス)

○ さよなら渓谷(7月31日、有楽町スバル座)

○ 嘆きのピエタ(8月01日、渋谷ル・シネマ)

○ 許されざる者(9月13日、テアトルサンク)

○ ウォーム・ボディーズ(9月23日、TOHOシネマズ二条)

○ そして父になる(9月28日、テアトルサンク)

○ ムード・インディゴ うたかたの日々(〈インターナショナル版〉10月13日新宿バルト9、

〈ディレクターズカット版〉11月3日渋谷シネマライズ)

○ トランス(11月3日、新宿シネマカリテ)

○ クロニクル(11月3日、新宿シネマカリテ)

○ もうひとりの息子(11月4日、シネスイッチ銀座)

○ 42 世界を変えた男(11月8日、コロナシネマワールド)

○ かぐや姫の物語(11月25日、29日、テアトルサンク)

○ ブランカニエベス(12月14日、コロナシネマワールド)

○ Flying Bodies(12月18日、テアトル梅田)

○ ハンナ・アーレント(12月18日、梅田ガーデンシネマ)

○ オンリー・ラヴァーズ・レフト・ビハインド(12月21日、TOHOシネマズシャンテ)

○ ゼロ・グラビティ<IMAX 3D>(12月23日、109シネマズ川崎)

 

 次に、この中から日本映画・外国映画のベスト10および部門賞を挙げます。

<日 本 映 画>

1 かぐや姫の物語

2 風立ちぬ

3 さよなら渓谷

4 許されざる者

5 舟を編む

6 言の葉の庭

7 東京家族

8 そして父になる

9 SHORT PEACE

10 Flying Bodies

監  督 高畑勲「かぐや姫の物語」

主演男優 松田龍平「舟を編む」

主演女優 真木よう子「さよなら渓谷」

助演男優 大森南朋「さよなら渓谷」 

助演女優 宮崎あおい「舟を編む」

脚  本 高畑勲 坂口理子「かぐや姫の物語」

撮  影 笠松則通「許されざる者」

美  術 男鹿和雄「かぐや姫の物語」

音  楽 久石譲「風立ちぬ」

<外 国 映 画>

1 愛、アムール

2 ムード・インディゴ うたかたの日々

3 ザ・マスター

4 ゼロ・ダーク・サーティ

5 リンカーン

6 ゼロ・グラビティ

7 嘆きのピエタ

8 ハッシュパピー バスタブ島の少女

9 ブランカニエベス

10 トランス

監  督 ミヒャエル・ハネケ「愛、アムール」

主演男優 ジャン=ルイ・トランティニャン「愛、アムール」

主演女優  ジェシカ・チャスティン「ゼロ・ダーク・サーティ」

助演男優 フィリップ・S・ホフマン「ザ・マスター」

助演女優 エイミー・アダムス「ザ・マスター」

脚  本 マーク・ボール「ゼロ・ダーク・サーティ」

脚  色 リュック・ボッシ「ムード・インディゴ」

撮  影 ダリウス・コンジ「愛、アムール」

美  術 ステファン・ローゼンボーム「ムード・インディゴ」

音  楽 エティエンヌ・シャリー「ムード・インディゴ」

 

 いや~、こうして作品名を列挙すると壮観ですね。2014年も素晴らしい映画とたくさん出会えますように!

稲葉 芳明

2013年12月18日 (水)

新・身も心も79『かぐや姫の物語』

高畑勲監督『かぐや姫の物語』は大変な力作・意欲作であり、アニメーション映画に新たな地平を切り開いた傑作と言える。しかし、作品が内包しているものが余りに大きく且つ深いゆえ、きちんとした形での批評は、(少なくとも現時点においては)筆者の手に到底余る。よって此処では映画の開巻から順を追い、印象的だった場面を振り返ってみたい。

 

 竹から生まれた赤ん坊は媼の手に抱かれると初めて産声を上げ、人間ではあり得ない桁外れの生命力が周囲の人間にも感化を及ぼすのか、貰い乳をしようとしていた媼は突然お乳が出るようになる。この開巻のシークェンスは奥行きの無いフラットな構図で、デッサンのように余白がふんだんにあり、画調も水彩画的に淡く端正である。本作の基調となる画調・トーンがこの時点で観客に提示され、これ以降の映像展開を予告する。

 春――花が咲きほころび、野山は鮮やかに色づく。それと呼応し、自然の息吹を自らの成長エネルギーとして取り込むかのように赤子もすくすくと育つ。あれよあれよという間に大きく育つことから、近隣の子たちからは「たけのこ」という綽名をつけられる。

子ども達と一緒に遊ぶ時、皆が口ずさむ “まわれ まわれ まわれよ 水車まわれ” という「わらべ歌」を、たけのこは自然と口ずさんでいる。知っている筈のない(聞き覚えの無い)歌を、何故彼女は唄えるのだろうか?後の展開に繋がる重要な鍵が、此処でさりげなく提示されている。

 ふとした偶然でキジやキノコを大量に手にいれ、今夜はキジ鍋だと喜びいさんで帰るたけのこだが、翁と媼は旅支度をしており、二人と共に都へと旅立つことになる。皆に別れも告げず、キノコの入った籠をそのままにして――。

 

――フェイドアウト――

 

たけのこが目覚めると、牛車の中。

 住居として新築された立派なお屋敷の中を、元気一杯に走りまわるたけのこ。勢いよく廊下の木を踏む音が、屈託の無い彼女の笑い声と一緒になって心地良く響く。

彼女は相模から様々なお習いごとを教授される。しかし、大人しく手習いのお稽古をしているかと思いきや、彼女が書いていたのは「鳥獣戯画」を彷彿させる兎など生き物たちの絵。

 「屋敷」あるいは「稽古事」といった人工物に取り囲まれても、根っからの自然児たけのこは天衣無縫に振る舞う。その象徴が「笑い声」。映像に合せて声をつけるアフレコではなく、役者が直接――映像を介さずに――聞き手(観客)に声を届かせることで、演劇的ドラマトゥルギーがぐっと強くなっている。プレレコを導入した方法論は見事な成果を生み出し、あたかも生の舞台に接しているかのように声優の発する声が――とりわけヒロイン役の朝倉あき――ダイレクトに芝居の息遣いを伝えてくれる。

 

姫のお披露目をすべく、盛大に催される成人儀礼の裳着の祝宴。

 されど、お披露目といっても自分などまるで存在しないかのように、姫は御簾の奥にただじっとしているだけ。下世話な好奇心丸出しの男たちの話声を御簾のうちで聞くともなく聞いているうち、式が勝手に進んでいくことへの矛盾と愚劣さに彼女の憤怒は遂に爆発し、やおら屋敷から駈け出して行く。走って走って走り抜いて、懐かしい山里へと疾走する。予告編にも使われたこのシークェンスは凄まじい迫力で、この場面だけをもってしても、本作はアニメ映画史上に残る作品である(余談だが、筆者はこの場面から、1985年第1回広島国際アニメーションフェスティバル受賞作「風 一分四十秒」を思い出した)。

しかし自分の生まれ育った家には他人が住み、捨丸の住んでいた集落も今は無い。かつてあれだけ生気に満ちた山里は灰色の景色に変わっており、降り出した雪の上に倒れこんでしまう。意識が遠のく中、姫は「この景色、知っている」と呟く。

 かぐや姫が目覚めると元のお屋敷の中。いわゆる夢オチなのだが、ファンタジーをファンタジーとして閉鎖的に完結することに批判的スタンスをとり、物語をあくまで現実に還そうとするリアリスト高畑勲の姿勢が如実に顕れている。

 

かぐや姫の絶世の美女振りを聞きつけ、五人の求婚者が現れる。ここから、表情・仕草も含めコミック・リリーフ的展開。

 物見遊山の野次馬が群がっているせいで、姫は屋敷から出るに出られない。窮屈さにホトホト嫌気がさし、媼と女童を連れてこっそり外にお花見へと出かける。丘の上で咲き誇る満開の桜に狂喜乱舞する姫。姫の歓喜の念に波長を合せるかのように、カメラは彼女の周りをぐるぐると回り、姫の笑い顔をクロースアップする。この桜木の美しさは、日本の伝統美の精髄そのものであり、アニメという手法で現代的に蘇らせている。本作中、最も印象に残る場面の一つ。

 しかしかぐや姫は、一人の子供を見かけると、ふっと我に帰る。もうたけのこの頃の、無垢で無邪気な自分には戻れないことを悟ったのか?急に真顔になって帰路につくが、途中、盗みを働いて逃げている捨丸に出会う。牛車の中の姫に気付いた捨丸は呆然と立ちすくみ、取り押さえられてしまう。かぐや姫は為す術も無く、捨丸に救いの手を差し出すことも出来ぬまま去っていく。

 

――フェイドアウト――

 

 それから三年の月日が流れる。

 姫に求婚した五人の貴公子の顛末――車持の皇子が持参した蓬莱の玉の枝は、贋作。阿部の右大臣は火鼠の皮衣を持ってくるが、火にくべられるとあっさりと燃えてしまう。龍の顎の珠を獲りに赴いた大伴の大納言は、龍に返り討ちにあう。石作の皇子は言葉巧みに姫の心を動かそうとするが、北の方が内情を暴露。石上の中納言は事故死。皆が不幸になったのは私のせいと、かぐや姫は自暴自棄になる。

遂には帝が求婚してきて、有頂天になる翁と媼。なかなか首を縦に振らない姫に業を煮やし、自ら屋敷に出向いた帝は姫を背後から抱きすくめるが、一瞬姫は姿を消す(この時、姫は月に向かって救いを求めていたことが後で明らかになる)。

故郷の山を訪れた姫は、山が再生した頃を見計らって戻ってきた捨丸たちと再会する。かつて山里に暮らしていた頃のような屈託のない笑顔が姫にも戻り、姫は太陽に「あめつちよ、わたしを受け入れたまえ」と呼びかけ、その広げた手のまま捨丸を抱きしめて、二人は空を自在に飛翔する。

最初観た時、筆者は此処で一瞬虚を突かれた。よもや高畑勲作品で、宮崎駿ばりのファンタジー場面に遭遇することになるとは予想だにしなかったからだ。宮崎駿のそれが、ヒコーキの滑走に見られるような爽快感溢れる冒険の象徴であるのに対し、この飛翔場面が表現しているものは、生きている実感・手応えを全身で受け取る精神の開放感である。現世で遂に果たし得なかった夢、生きとし生けるものと一体化し、何物にも束縛されず生を思う存分謳歌するという姫の願望が遂に叶い、その歓喜の念が此処で爆発する。

ここは、姫の笑顔が見られ、笑い声が聞かれる最後の場面である。であるが故に、このシークェンスは、高揚した姫の思いを観客に鮮烈に伝える本篇のクライマックスにする必然性があった。この場面が無いと姫は余りにも哀れであり、例え夢オチ的に処理されているにせよ、必要不可欠であると高畑監督は確信していたに違いない。

 

物語もいよいよ大詰め。

月からの使者が訪れる。この場面は雲中供養菩薩像をモチーフにした来迎図だそうだが、「彼ら」は人間の俗世的悩み・苦しみ・悲しみとは無縁の存在だから、カリプソ風の賑やかでノーテンキな音楽と共に登場しても不思議ではない。

姫の告白。「姫の犯した罪と罰」が――暗示的ではあるが――遂に明らかにされるが、筆者は高畑監督の解釈を完全に理解した自信が無いので、あくまで私的感想を述べさせていただく。

極楽浄土というのは、安寧に満ちた究極の平穏な世界である。清澄で不純なものが一切存在しない月の住人からすると、地球はドロドロした欲望やエゴといった罪と穢れに満ちた汚濁の世界と映るに違いない。しかし、例え人間世界(=地球)が悲しみと苦しみに満ちた世界であるとしても、それを全て含めた上でなおかつ「生」――生きとし生けるものの世界――を肯定的に受け止めようとすることが姫の真摯な思いであり、本作の主題であると筆者は解釈する。

かぐや姫は月に戻されてしまった。されど、姫が「わらべ歌」を媒介として地球の存在を知ったように、姫が今後月で歌うであろう「わらべ歌」を耳にして地球に流されることは、必ず繰り返される筈である。一つの生が失われても、それを受け継ぐ生が必ず出現する “Circle of Life” というテーマに、筆者は痺れるような啓示を感じ取った。「9.11」を体験した我々にとって、この映画は現世を肯定するepiphanyとして筆者には映ったのである。

 

姫は使者たちと共に、ぐんぐん月へ昇っていく。青い地球を振り返る姫の目に光る涙。

 

主題歌「いのちの記憶」が流れる中、エンディング・クレジット。

稲葉芳明